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適度に、適当に。

選択の多い人生ですが、家族で楽しく暮らしていきたいです。

知り合いの赤ちゃんと遊んで思ったこと。

先日、知り合いの赤ちゃん(一歳半)と二時間一緒に過ごす機会があって、我を忘れて赤ちゃんに気に入られようと必死になってしまいました(笑)

赤ちゃん可愛い。


一歳半は赤ちゃんじゃないよ、とその子のママは言っていたので赤ちゃんじゃないのかもしれないけれど、私は三歳までは赤ちゃんと呼んでいるので赤ちゃんと書いておきます。

こどもと比べて赤ちゃんの方が楽なところというと、赤ちゃんの要求はわかりやすくて叶えやすいところ。

とりあえず泣いて要求があることを教えてくれるのが赤ちゃん。
鈍感な私には大変にありがたい機能です。


眠いのかな
お腹が空いたのかな
暑いのかな
寒いのかな
オムツが気持ち悪いのかな
どこか調子が悪いのかな


様子を見ながら、抱っこでとんとんしながら、赤ちゃんの要求を探りあてると、
「よし、それで満足である」
と、返ってくることがあって。

「わかってくれてありがとう」
とでも言うように、安心しきって腕の中で寛いでくれたときには、これ以上の幸せはこの世にないくらい、幸せだと思っていたし、
やっぱり今振り返ってもあんなに目に見える形で幸せを実感できることはあんまりない気がしています。


八歳児も五歳児も、男の子だからなのかいまだに抱っこが好きですが、
本当は、私が抱っこが好きだと喜ぶから付き合ってくれているのかもしれません。

今に抱っこもさせてもらえなくなっちゃう。

そう思うと今からさみしい。


こどもの要求はわかりやすいものばかりではなくなってきて、特に言語化が苦手な長男は、何となく不満をためることがあります。

何となくの不満は、じきに解消するものも多いのですが、たまると突然爆発することもあって、ずいぶん難しくなったなぁと途方に暮れることもあります。


要求の種類も赤ちゃんとこどもだと変わりますよね。

赤ちゃんの要求は命に関わることが多いから、親としても絶対に聞き逃さないように細心の注意をもって、瞬時に対応するけれど、
こどもの要求は急がないものや小さなものもいっぱいあって、

かいた絵を見て
オセロ(トランプ・ドンジャラ)やろう
お話聞いて
背中かいて
このテレビ見て

などなど。
忙しい、手が離せない、疲れている、というこちらのタイミングを狙い済ましたように要求が飛んできます。

すぐに応じればいいだけなのは百も承知だし、その方が結果的にお互い楽なのだけれど、タイミングを間違えると不満につながります。

不満があんまりたまると、不信感にもなっていくのだと思うし。


まだ、上記のように言語化してくれればわかりやすいのですが、
「ねぇ…××××…」
「あのさ…○○○○…」
と、もにょもにょ言ってたり、言いかけてやめたり、
言わなくてもわかってという新たな要求ですね。


小さな要求たちも、まとめると
「僕の成長を認めてよ」だったり
「僕の気持ちに寄り添ってよ」だったりすることが多いです。
100個の要求全部に答えるのは物理的にも不可能ですが、あんまり取りこぼしているとこどもたちに負のメッセージが伝わってしまいます。

赤ちゃん時代に比べて難易度が上がったなぁと思います。


いつも私の能力の少し上の要求をされるから、成功したり失敗したりしていて。

思春期になるともっともっと難しくなるんだろうと長男の今後(と自分の能力)が心配。
でもこの勝負には、負けるわけにはいきませんね…。


その点、ガチンコ勝負の長男とは違って、経験済みの過程にある次男の扱いやすいこと。

兄の切り開いた道を進んでくれる似た者兄弟なので、安定のワガママ振りは可愛くもあり、羨ましくもあります。もしかすると長男も羨ましがっているかも…。



長男が赤ちゃんだった頃は、今思い出すと、やっぱり必死で毎日過ごしていました。何で泣き止まないの~と、自分が泣いたことも一度や二度じゃなかった気がします。

赤ちゃんの要求が分かりやすく感じるのは、長男が教えてくれたからだもの。


つまり、母がもっと母らしく、今の長男に合わせて成長するしかないんだよな…と思い至りました。
いたらない母でごめんね。